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高齢化社会で高齢になる自分をどう過ごすか?死をどう考えるか?

2024/04/24

こんにちは、Kazuneです。

パッとしない天気が続いてますね。
だからではありませんが、高齢化社会というちょっと向き合いたくないテーマ。

また、最初に言っておきますが、私の一意見で、正解とはいいません。
そして、かなりアウトローな考え方だと思います。たぶん、多くの方には賛同しかねる意見かもしれません。
でも、高齢化社会の不安を乗り越えるには当たり前の概念ではきっと無理だと思うのであえて突っ込んでみたいと思います。

さて、四苦八苦という言葉が仏教の言葉でありますが、
「生」「老」「病」「死」の四苦はそのまま字のごとし「生きることの苦しみ」「老いていくことの苦しみ」「病気になることの苦しみ」「死ぬことの苦しみ」
あとは
「愛別離苦」:好きな人と別れなければいけない苦しみ
「怨憎会苦」:嫌いな人と会うことの苦しみ
「求不得苦」:求めるものが得られない苦しみ
「五蘊盛苦」:自分の心や身体すら思い通りにならない苦しみ

これらの苦しみのことを「四苦八苦」と言います。

全部書いたけど、テーマは「(老)死」
でも、「生」「病」も繋がってはいます。

先日、ある人と話して、その方は
子供も妻もいる。年ももう50を超えている。
その方は保険のこと、子供の学校のことや老後の貯蓄のこと、その他予期せぬ万が一があった時のための蓄えのことなど、いろいろしっかりと考えていました。

普通の観点からみたら、これはみんな考えるべきでそれを実行していることは素晴らしいことだと思います。

テレビやニュースで
「老後の貯金はいくらくらいなければ」「長生きするためにはこういう生活、こういう食事がいい」「何年連続で世界一の長寿国です。素晴らしいですね」
そのような感じの「長寿」「健康」「お金」などの話はよく目にします。

そのテレビの情報を参考にお金を増やす努力や健康・長寿を目指すことは本当にいいことなのか?
と一石を投じたいと思います。

なぜ、盲目的に「長生き」を目指すのだろうか?
長生きは本当にいいことなのか?
と思うわけです。

長生きを前提に「貯金」や「保険」を考えるわけですが、その心配や不安はどうなったら解消されるのでしょうか?
いつ死ぬかわからないから貯金や保険をかけるわけですが、その心配や不安はたとえば死ぬ前に医師から余命宣告さらたら「あと1か月か、1か月なら貯金もこのくらいあるし、残す家族の分もこれだけあるし大丈夫だろう。」みたいにきっと80何年生きてきてずっと不安や心配と戦ってきたけど、余命宣告を受けた後の「1か月の命」の時にやっと計算が終わって安心するかもしれません。

でも、ここからは「死」に直面する恐怖の1か月かもしれません。

幸せになるには心配や不安の芽を消す努力をしなければ!だから保険や貯金をする。でも、その幸せのための心配や不安は死ぬ直前でやっと解消されたから、幸せになれると思ったけど、死の恐怖に打ち勝たねば!となるわけです。
極論ですが。

もし、こうなったら「なんのために生きてきたのか?」と自問自答することになりそうです。私なら。


ヨーガや瞑想を人生に活かす練習にするとしたらここだと思います。
「生老病死」を受け入れる練習。というか修行。

ヨーガの最後のポーズ、仰向けで寝るポーズはシャバーサナは「屍のポーズ」と言います。
実は毎回死ぬ練習をしています。(笑)

「今を生きる」ことが大切だよ。とよく言われますが、それを凝縮していきます。
今の私にとっての「今」は今年2024年かもしれません。それを今月、今日、1時間、1分、1呼吸と「今、この瞬間が人生」を1呼吸にまで凝縮することができたら、今を生き切ったので、次の瞬間に死んでも後悔はないわけです。

「そんなの無理」と思いますが、だから修行なんです。

お金がなく、食べれなくなった時、動けなくなった時、それは死ぬときです。
そこで、誰かにお金をもらってとか、治療してもらって生き延びたい、長生きしたい!じゃなくて、
そこが死ぬとき。

長生きするためにはお金がたくさんなくては! 最先端治療を受けれるような保険に入っていなくては!ではなくて、
何もできなかったら、それは死ぬとき。

「長生き」を前提に人生を考えようとするから結局、心配や不安などの苦しみは尽きない。
苦しみが尽きないのに長生きしようとする。生き続けたいと願ってしまう。

矛盾していると思いませんか?

生きている世界で生きるためのお金や健康、体力がなくなったらそれは死ぬとき。


こう考えることはできないだろうか?

「やっとお金のために働くことから解放される。自由が利かなくなった体から解放される。」
「自由になれる!」

という風に。

もちろん、「生きたい」というのは生物としての本能なので、その本能を乗り越えることは極めて大変ですが、
だから、修行でもあるのですが、

ヨーガや瞑想は「生老病死」を乗り越えることができる方法です。

そこまで、本気でヨガできない!というのが普通だと思います。
プロのサッカー選手も最初は子供の時に親がくれたボールを蹴って遊んでただけ。そこでプロになろうとも思ってません。成長するにつれて徐々にプロを意識していったいったように、我々もまずはあまり先を考えず、ヨーガを楽しんでいきましょう。

高齢化社会が進む中で「生老病死」を本気で考え始めるようになったら、ヨーガや瞑想が助けになるかもしれません。


川崎市多摩区 登戸、宿河原、久地のヨガとシンギングボウルのスタジオ
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