川崎市多摩区にあるRoot One Yoga STUDIOは南武線 宿河原駅から徒歩3分、シンギングボウルが体験できる数少ないヨガスタジオです。

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エゴを考える。(覚醒のヨーガより)

2024/03/02

こんにちは、Kazuneです。

3月になりましたね。宿河原のニケ領用水沿いに1本だけ桜が咲いていて、しかももう葉っぱが出てます。
何桜なんだろう?

さて、ヨーガの練習は心と向き合う練習でもありますが、
「エゴ」について少し書いてみたいと思います。 
難しいテーマでもあるので、うまくお伝えできないかもしれませんが、「覚醒のヨーガ」を読んで「なるほど!」と思う部分も多いです。

まず、「エゴ」の考え方から。
エゴというと、自己中心的な人、利己主義な人を表す「エゴイズム」と思ってしまうけど、そうではない。
自分勝手な人ということではありません。

「エゴ」は「個人性の意識」=「個我」です。

ちょっと怪しい話に思ってしまうかもしれませんが

我々の本質は「真我」という魂のレベルの意識が本来の自分。簡単に言えば「愛」そのものの意識。
すべての人の原点で、ヨーガの練習をすることで、私は「真我」だったんだ。ということに気づきたいわけです。

でも、我々はエゴという「個人性の意識」=「個我」で生きています。
「私はヨガインストラクター」「私は男」「私は日本人」「私の家は~」「私の車は~」など「私」が出てくる。

会社の組織図でわかり易く考えます。

会社の社長は一人。TOPから下になるにつれて人の数も仕事の内容も多種多様になっていきます。

例えば
社長は会社の方向性を決める。まとめる。 

部長は○○部署を管理する。

営業は会社の商品を売り込みに行く。
経理は経費などお金の管理をする。

ウエイトレスは接客
厨房は食事を作る。
清掃員は掃除をする。

など、上から下にいくほどに役割や人が増え、具体的になっていく。

我々が「私は」「私の」「私に」「私のもの」など私が「強く表面化」意識している間は「具体的な仕事」をしている下層のマインドです。

「私」が薄くなっていくほどに「社長」のような「抽象的」な存在感になります。でも、一番重要な役割の人です。

会社はこれらすべてのものからなっていて、そこに本来優劣はありません。すべてがその会社の一部です。

でも、エゴから堕ちてしまってエゴイズムになってしまうと、「社長である私はえらい!」「この仕事はいい、悪い。」「ライバルを失脚させよう」「あいつ嫌いだから手伝わない」「お金を懐に入れちゃおう。」「データを書き換えて都合よくしちゃおう」「お客から金を搾り取ろう」みたいな行動をして、会社を傾かせてしまう。

会社は体です。上記のエゴイズムの意識を体でいうと、暴飲暴食、ストレス、うつ、疲労、窃盗、暴力、薬物中毒など間違えた行動を正しいと思い込んで体という拠り所を破壊していきます。

多くの人はエゴである「個我」で楽しい、つらい、うれしい、悲しいなど「私が幸せになりたい」ために個人がいろんな感情とともに個人として幸せを信じて一生懸命生きてます。でも、完全な幸せには至れません。一時的なものを味わってます。


そこから上層のエゴ、「真我」を目指したいのですが、それは個我を楽しませるような「感情的」なマインドではなくて、「冷静に理性的」でいるように努力することから目覚めていきます。
そこから、洞察、観察し、熟考できるようになっていく。

そのマインドは、個人的で一時的の良しあしではなくて、「会社という全体のために。」という思いのもとに熟考するので、「直観」が働くようになっていきます。

「愛」のマインドで洞察、観察、熟考した上での直観に従った行動なので、物事は良い方向に進んでいくようになっていきます。

そこに至るのは難しいわけですが、でも。

会社の社長で考えたら、「会社や社員のために」とか、「この会社が貢献して喜ばれたい」とか考えますよね?
個人や平社員の立場だと、「商品1つ売った」「トイレ掃除した。」ことで社会貢献につながるとはなかなか考えられませんよね。

でも、会社は平社員から社長までのつながりで成り立っているので、商品一つ、トイレ掃除一回も会社のためになっていて、社会貢献にもつながっていきます。

役割は平社員でも、部長でも社長でもなんでもいいけど、マインドは社長マインド(真我)で、役割に上下はないと理解して努力をしたらきっと人生「良かった」の連続になることでしょう。

「個我」で生きている我々はすぐに疑ってしまうけど、これを強く信じることが大切です。

不撓不屈のマインドで練習してみてください。










 

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