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100の思考実験 番外編

2024/01/24

こんにちは、Kazuneです。

日中は「あれ?わりと暖かい。」と思っても夜になると寒いですよねー。
インフルエンザも流行っているようですので、お気を付けください。

さて、今日は思考実験の番外編。
本には載ってないけど、昔、私が聞いた話。印象的でなんとなく覚えているお話し。

こんな話。(あいまいに覚えてるとこもあるので、その辺は目をつむって)

戦争が当たり前の時代。
A国も、いつ隣国から攻められてもおかしくない状況。
ある時、遠征に行き戦争が始まった。

戦争がしばらく続いて、騎馬に乗った兵がA国の門になんとかたどり着いた。

なんの連絡もなく戻ってきた兵士。鎧姿から上級の身分であろうことはわかる。
「私は○○の身分の貴族だ。国王に伝えねばならない。通せ」と言われ、門を通す手順を踏もうとしたが、
「今は緊急事態!そんなことしている暇はない!もし、ここで足止めしたことが尾を引いて国が一大事になったら責任を取れるのか!?」と怒鳴られ、一兵卒の門番は委縮してそのまま門を通してしまった。

貴族が門を通過した直後この騎馬に乗った者は武器を抜き、門番たちを殺してしまった。
実はB国の兵士だったのだ。計略でだまし、門を開けさせて外に隠れて控えていた味方を引き入れて、そのままA国に壊滅的なダメージを与えた。A国王は命からがら逃げだしたが、国は結局一度滅んでしまった。

そこからウン十年

不屈の精神でA国王は国を復興させた。

滅ぼされた時の教訓を活かして、「どんな時でも手順を踏まない限り絶対に門を通してはいけない。それを破ったら死罪!」という取り決めをして、規律を厳しくした。

順調に国力が戻ってきて、国王みずからが遠征に出かけた。

その戦いに敗れてちりぢりになってしまったが、国王は1か月後ようやく自分の城の門に到着した。

「あけろー!王が戻ったぞ!」

王とはいえ、門番のような一兵卒は国王の顔を見たことがない。

ウン十年前の教訓のこともあり、
門番「では、門を通るための印をお示しください。手順を踏まない限り通すことはできません。」

王「やっとの思いで戻ってきたのだ!そんなものあるわけないだろ。とにかく開けろ!」


そこでクエスチョン!  あなたが門番だったら「開けますか?」「開けませんか?」


<状況として考えられること>
話的にはここはA国の国王が戻ってきているが、門番が国王だと確信は持っていない。

・あとで、これが本当に国王であれば許されるかもしれないが、ここでは本当に国王かわからない。また、規律を守らなかったとしてやはり処刑される可能性もある。

・本当に国王だったとき、ここで見捨てたら、あとから攻めてくる敵に国王が殺されることは確実。

・また、門の前にいる国王を名乗る人物はどうあれ、ケガをしていてそのまま放っておくのも命にかかわる可能性がある。

・本当の国王でなかったとき、昔のように門番がいきなり殺され、楽々と敵が門を通過して蹂躙する可能性がある。また、同じ轍を踏むことになる。


他にも考えられることはあると思いますが、さあ、開けた方がいいのか?開けない方がいいのか?
考えてみてください。


門番の立場でなくて、国王の立場で、似たような話が中国にあります。

中国のある国王がやはり過去の苦い経験から、様々な規律を作って秩序でもって国を導いて、国力を増大させた国があり、ある戦争で命からがら国王が逃げてきた。
自分の領土まで戻ってきてある農民に出会った。

国王「助けてくれ。お腹も空いて、もう死にそうなんだ。」
農民は困った顔をして言った。
農民「この国の人間である証明に○○を持っているはずだ。持っているかい?」
国王「いいや。身一つで逃げてきたんだ。持っていない。」
農民「それじゃあ、だめだ。○○を持っていない者を助けたら、おらが罰せられてしまう。」
と言って去っていった。

それを聞いて国王は微笑んだ。

「自分の作った規律を農民がここまで守って実行しているのか。国の末端にまで自分の教えが行き届いて実行されているのであれば、自分がいなくなったとしても、この国はきっと大丈夫だろう。」

と安心して国王はその場を後にした。

という話。

「自分が助かりたい!」とか「自分は罰せられたくない」という「自分」思考な時はきっと「怒り」や「生存欲」などの感情が働いて醜い人間模様になることでしょう。

でも、中国の故事のように自分は助からないけど、国のみんなは大丈夫だろうと安心すること、「他人への愛や慈悲」が優先された時には自分の「死」すら安らかになる。

ヨーガもいかに「自分」思考を薄くしていくかの練習。と言えます。

怒りや嫉妬や執着心などの感情はすべて、「自分」思考。
我々のほとんどはそこをあまり意識しない。
でも、苦しむ。苦しいから他人を「自分」の思い通りにしようとしてしまいます。

でも、自分にこだわらなくなった時に「怒る」必要も、「嫉妬する」対象も、「執着する」物もないことに気づきます。
自分思考を薄くするために、自分に向き合う練習が必要なんです。





 

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