ヨーガ的な食べ物のいただき方。
2024/01/06
こんにちは、Kazuneです。
先日、コンビニに行ったら「糖質摂取 年間計画」みたいな題名の雑誌が売ってました。
パラパラっと見たら、食材ごとに糖質が何gかが書かれていて、どれをいつ摂取するのがいいのか?みたいなことが書かれているようでした。
余談ですが、調剤をやっていた時は毎日毎日、糖尿、高血圧、高脂血症の薬がよくもこれだけ出るものだなー。と思ったものです。
最近は筋トレブームでもあるのでしょうか?
ドラッグストアでもプロテインがよく売れるようになってる気がします。
ボディビルの方は肉もささみを食べるとか聞きますしね。
何を言いたいのかというと、
「食べる。」という行為が純粋な幸せではないように思う。ということです。
・これは好きじゃない。
・これは糖質が多すぎる。塩分が多すぎる。何gまでにしないと。(またはこれは食べてはいけません。)
・私は菜食主義なので、肉はいりません。
・グルテンフリーなので。ヴィーガンなので。
・筋肉にはどの肉を何gがいい。
など、管理された食事
とか
・A5ランクなんてなかなか食べれないぞ。
・○○産じゃないとね。
・これは高かった。
など、その物のおいしさよりも、希少性やブランドへの満足感
とか
・朝、昼、晩きっちりと食べること。
お正月でより感じたことでもあるけど、朝、昼、晩 時間通り3食食べなきゃいけないかのような盲目的なルール。
お腹いっぱいだからあまり食べたくないのに、「作ったものは全部食べてなくしてもらわないと困る。」という感覚で「食べなさい。食べなきゃだめよ。」とせっつかれる。
そんな感じで、
食事を楽しむというよりは「食事に束縛されている。」と感じます。
文句を言ってはいけないんですが、文句を言いたくなるような食事環境になってしまい、実際文句の言葉が心に浮かんでしまう。
一番いいのは自分で必要な時に必要な分を準備して食べることでしょうが、なかなかそうもいかないわけで。
「ヨーガ的にどのような態度で食事をいただくのがいいのか?」
まず、ヨーガでなくても食事のタイミングはお腹が空かなそうなら言っておくべきですね。
そうすれば食事を無駄にしなくて済みますね。
それを踏まえて
「食事は生命をいただく行為」と思うことでしょう。
糖質、タンパク質などの化学物質を胃に入れることではない。ということ。
生命をいただく。ことが念頭にあれば、感謝しかありません。
さらに、ヨーガでなくても食材を、食事を作ってくれた方を思い描いたら文句など出るはずがないでしょう。(自分で言ってて耳が痛い。)
ブッダがある農民から火の通っていない食べ物をいただいて、お腹を壊して最後は亡くなったというのは有名な話ですが、ブッダは「これを食べたらお腹を壊す」ことは知ったうえで、その食べ物自体が何で、食べたらどうなるということよりもその農民の「やさしさ」というエネルギーをいただきました。
なので、以前どこかで言ったかもしれませんが
食事は味覚を楽しませ栄養を食べる行為ということではなくて
ヨーガのマインドで食事するということは
食材になってくれた、食材を作ってくれた、それを届けてくれた、食事を作ってくれた「善意のエネルギーをいただく」ことで「感謝の善意で応える」行為と言えるのではないでしょうか?
ニュースでは食中毒や学校給食でのアレルギーなど時々やってますが、それに対して怒りで返したら、ただただ不幸な出来事になってしまいます。また、食中毒やアレルギーを心配しながら食事してたら何も楽しくありません。
食中毒やアレルギーは確かに苦しいですが、
わざと食中毒にしようと思ったわけではないし、学校の先生も人間だから、子供のアレルギーのことを失念することもあるかもしれません。
そこを許せないのであれば全部、自分で管理するほかありません。
体は苦しい反応かもしれませんが、もともとは食事を作ってくれた善意をいただいていること、
そして、体は自分に良くないものを出そうとがんばってくれている善意の反応であることに意識を向けるとその苦しい時間は憎しみや後悔ではなくなります。
そのように食事は善意のエネルギーの循環だと思ってみましょう。
先日、コンビニに行ったら「糖質摂取 年間計画」みたいな題名の雑誌が売ってました。
パラパラっと見たら、食材ごとに糖質が何gかが書かれていて、どれをいつ摂取するのがいいのか?みたいなことが書かれているようでした。
余談ですが、調剤をやっていた時は毎日毎日、糖尿、高血圧、高脂血症の薬がよくもこれだけ出るものだなー。と思ったものです。
最近は筋トレブームでもあるのでしょうか?
ドラッグストアでもプロテインがよく売れるようになってる気がします。
ボディビルの方は肉もささみを食べるとか聞きますしね。
何を言いたいのかというと、
「食べる。」という行為が純粋な幸せではないように思う。ということです。
・これは好きじゃない。
・これは糖質が多すぎる。塩分が多すぎる。何gまでにしないと。(またはこれは食べてはいけません。)
・私は菜食主義なので、肉はいりません。
・グルテンフリーなので。ヴィーガンなので。
・筋肉にはどの肉を何gがいい。
など、管理された食事
とか
・A5ランクなんてなかなか食べれないぞ。
・○○産じゃないとね。
・これは高かった。
など、その物のおいしさよりも、希少性やブランドへの満足感
とか
・朝、昼、晩きっちりと食べること。
お正月でより感じたことでもあるけど、朝、昼、晩 時間通り3食食べなきゃいけないかのような盲目的なルール。
お腹いっぱいだからあまり食べたくないのに、「作ったものは全部食べてなくしてもらわないと困る。」という感覚で「食べなさい。食べなきゃだめよ。」とせっつかれる。
そんな感じで、
食事を楽しむというよりは「食事に束縛されている。」と感じます。
文句を言ってはいけないんですが、文句を言いたくなるような食事環境になってしまい、実際文句の言葉が心に浮かんでしまう。
一番いいのは自分で必要な時に必要な分を準備して食べることでしょうが、なかなかそうもいかないわけで。
「ヨーガ的にどのような態度で食事をいただくのがいいのか?」
まず、ヨーガでなくても食事のタイミングはお腹が空かなそうなら言っておくべきですね。
そうすれば食事を無駄にしなくて済みますね。
それを踏まえて
「食事は生命をいただく行為」と思うことでしょう。
糖質、タンパク質などの化学物質を胃に入れることではない。ということ。
生命をいただく。ことが念頭にあれば、感謝しかありません。
さらに、ヨーガでなくても食材を、食事を作ってくれた方を思い描いたら文句など出るはずがないでしょう。(自分で言ってて耳が痛い。)
ブッダがある農民から火の通っていない食べ物をいただいて、お腹を壊して最後は亡くなったというのは有名な話ですが、ブッダは「これを食べたらお腹を壊す」ことは知ったうえで、その食べ物自体が何で、食べたらどうなるということよりもその農民の「やさしさ」というエネルギーをいただきました。
なので、以前どこかで言ったかもしれませんが
食事は味覚を楽しませ栄養を食べる行為ということではなくて
ヨーガのマインドで食事するということは
食材になってくれた、食材を作ってくれた、それを届けてくれた、食事を作ってくれた「善意のエネルギーをいただく」ことで「感謝の善意で応える」行為と言えるのではないでしょうか?
ニュースでは食中毒や学校給食でのアレルギーなど時々やってますが、それに対して怒りで返したら、ただただ不幸な出来事になってしまいます。また、食中毒やアレルギーを心配しながら食事してたら何も楽しくありません。
食中毒やアレルギーは確かに苦しいですが、
わざと食中毒にしようと思ったわけではないし、学校の先生も人間だから、子供のアレルギーのことを失念することもあるかもしれません。
そこを許せないのであれば全部、自分で管理するほかありません。
体は苦しい反応かもしれませんが、もともとは食事を作ってくれた善意をいただいていること、
そして、体は自分に良くないものを出そうとがんばってくれている善意の反応であることに意識を向けるとその苦しい時間は憎しみや後悔ではなくなります。
そのように食事は善意のエネルギーの循環だと思ってみましょう。