川崎市多摩区にあるRoot One Yoga STUDIOは南武線 宿河原駅から徒歩3分、シンギングボウルが体験できる数少ないヨガスタジオです。

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「健康とは!」

2024/06/05

こんにちは、Kazuneです。

とうとう6月まで来てしまいました。
レッスンの提供はあと1ヵ月半です。

スタジオの閉店を控え、ここでヨガをお伝えするのも残り少なくなり、そして今後は何をするのか?何ができるのか?どんな使命が自分にはあるのか?

なんてことを考えてしまう今日この頃で、ふと「健康ってなんだろう?」と思ったわけです。

WHO(世界保健機関)が言う健康は
「健康とは、身体的、精神的、社会的に良好な状態であること。」です。

体が思い通りに動くことはもちろんですが、体はどこも痛くない、病気といわれる状態ではなくても、
精神的なものでは「うつ」が一番心の病気として思い浮かぶかもしれません。日常生活に大きな影響を与えます。
また、心がすさんでいて「人を殴りたい。殺したい。」などを平気で思ってしまう精神状態も健康ではありません。

社会的って何?と思うかもしれません。社会的に健康ではない状態とは
まずは、仕事でお金を稼いで生活をすることがままならない。納める税金を払わない。そうなると盗みを働くようになったり、お金をだまし取ろうとするようになったり、税金を踏み倒したり、まっとうな生活ができなくなります。

また、ご近所トラブルなどで問題を抱えるのも社会的な健康とは言えません。

どれも大きなストレスを抱えて幸せとは感じられない状態ですね。

さて、

WHOの言う健康はごもっともです。

でも私の考える「健康とは?」(これは持論なので、正解とはいいません。みんなが自分で健康観を持つことが大切だと思います。)

結論からいうと「受容すること」です。

一つ言っておくと正しく受容するためには慈しみや憐みという「慈悲」の気持ちがあってこそだと思ってます。
盗み、人殺しなどの犯罪を笑って許すような、明らかに人類の倫理観としてみんなが「おかしい」と思うことをただ笑って許してしまうのは間違った受容です。

そういうことではなくて、

人は生きていればケガもするし、病気にもなるでしょう。いつか死にます。それを受け入れる。
体は痛みがあるから労わるし、気をつけます。痛みを感じなければ長生きできません。痛みは生きるためには必要な感覚です。

しかし、だいたいの人は痛みは排除したい、なくしたい。なくていい。と思うと思います。もちろんずっと痛いのはつらいですが、痛いのは痛いなりの理由があります。痛みの原因にちゃんと対処できれば痛みはなくなります。「痛みそのもの」は悪ではありません。「痛みは痛み止めを飲んでなかったことにする」のではなくて、痛みを受け入れて体が訴える痛みの原因に向き合うことが大切です。

糖尿、高血圧、肥満、がんなどもいきなりそうなるわけではありません。薬で早くコントロールしたくなるけど、そうなった原因に向き合って対処することが受容です。

「いままで病気なんてしたことなかったのに!」というセリフ。

健康に自信がある方が年を重ねてある時病気が発覚する。もしくは体調が悪くなってとまどう。
最初に言ったように人間、だれしもがケガもすれば病気にもなります。
健康に自信がある方は潜在的に「この健康は永遠に続いていく。」と思ってしまっています。
だから、病気や体調を崩した時のショックは非常に大きいものです。

「病気はするものだ。」と心で受容していれば、その不調に対処するだけです。でも、自分の健康神話を信じて疑わなかったためにいざ、病気に対峙するとショックが大きすぎてしまいます。

健康のために運動をする。筋トレする。美しく若々しい見た目、健康的な見た目のために努力したり、整形したり。
どれもきりがありません!

運動能力が上がっていき、ある時運動できない日が続くと運動能力が落ちることが不安になるかもしれません。年齢と共に筋肉が落ちることがショックかもしれません。シワが気になってヒアルロン酸入れて満足しても次はこっちのシワ、数年後には、またここのシワと心配がつきません。

健康のために努力をすることは大切なことです。でも、囚われると健康であるために努力をしなければならない。「~ねばならない。」ものになってしまいます。健康が落ちることの不安や心配が常につきまといます。

でも、「受容」していれば運動能力が落ちたら「またがんばればいい」。シワが増える、老眼になってきた。髪に白いものが増えてきた。全部年齢を重ねればそういうものだ。と「受容」していれば一時は年を取ったとショックかもしれませんが、「年相応かな」とだんだん気にならなくなっていきます。


また例えば、

私は車に乗っている。とします。
ここでいう「車」は「体」、「運転手」は「私の心」です。

車は私ではないですよね?私は運転手です。
でも、健康に囚われると「車(体)」をつねに新車のときと同じ状態を維持するために必死になります。
「おれの車かっこいい?キレイでしょ?」と車の外見をみせびらかします。

大変ですよね?

乗れば徐々に劣化していくし、乗らなくてガレージに置いとくだけでもエンジンかからなくなったりしますよね?
でも、一生懸命新車の状態を維持しようとする。

車は私ではないのに、必死になるのは不毛です。

でも

私が快適に運転するためには車体のメンテナンス、車検、オイル交換などは必要です。

「車は私じゃないから。」「物は古くなるものでしょ。」
といって何もしなければ、車から変な音がする。とかライトが片方つかないとかだったら、運転してて不安ですよね?

ガタガタする車に乗ってたら運転手は不安です。心は不安になります。

だから、運転手が安全、安心して運転するために(心が平穏であるために)
車(体)は古くなっていくものだとわかっていながら(受容しつつ)大切にメンテナンス(体の面倒)をしていきます。
いよいよ車が何十万キロ走って限界が来た時に「いままでありがとう。」と言って降りるだけです。

「まだ、もうちょっと。なんとか動け!あそこの景色みるまでは!」なんてやってたら見苦しいですよね。


体が健康でも、痛みがあっても、病気になってもどんな状態でも「受容する。」ことができれば心は常に開かれています。

これは社会的なものにも言えます。
「お金がなくても。」「平社員でも」「友達少なくても」「高級品もってなくても」

「受容」していれば、その状況は決して不幸ではありません。「かわいそう」ていうのは「他人」です。「私」ではありません。

というわけで、
私の健康観は「受容」です。


 

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