川崎市多摩区にあるRoot One Yoga STUDIOは南武線 宿河原駅から徒歩3分、シンギングボウルが体験できる数少ないヨガスタジオです。

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「ヨーガ」や「瞑想」で到達したい境地 ①

2023/11/27

こんにちは、Kazuneです。

11月もあっという間に終盤ですね。
あまりにも1日の流れが速すぎて、一昨日の忘年会は「昨日だっけ?一昨日だっけ?」と一瞬考えてしまいました。

さて、その忘年会は高校時代のハンドボール部の先生や先輩たちと過ごしたのですが、そこで少しヨーガ的な考えに思いを馳せました。

ただ、理解しがたい考えかもしれません。言葉にするのもすごく難しいので。
でも、なんとなく日常の出来事や人間関係やニュースを見てモヤモヤする方は助けになるかもしれません。

が、努力は必要です。

先日
みんなとお酒を飲んで食べて、話しが盛り上がって楽しいひと時を過ごしてきましたが、私も含めてですが、
「みんな五感を楽しませて幸せを感じようとしているんだなー。」と思いました。

中年になると「お腹出てきちゃってさー。」とかそんな話題も出てきますが、本気でなんとかしなきゃ!と思ってはいない。お酒を飲む、料理を食べる。味覚を楽しませることは楽しくてしょうがない。

「俺ゴルフ始めたんだー」「バレーボールやってる。」
体を動かすことを楽しむ。メタボには良いですけどね。体を動かすことでリフレッシュしてで触覚で「楽しいー!」と感じます。

「山登りに定期的に行ってるよ。」
景色を見て視覚を楽しませたり、温泉入って触覚を楽しませたり、料理で味覚や嗅覚を楽しませる。

「ライブに行ってきた。」
聴覚が楽しい。

みんないろんな楽しみ方で幸せを求めている。いろんなことをやって幸せを感じようとしています。

それは別に悪いことではありません。当たり前です。私も楽しい。

でも、これらの五感を楽しませて幸せを感じようとする行為は極端に言えば麻薬のようなものです。

最近ニュースで「HHCHグミ」や若者の風邪薬のオーバードーズのニュースがやってますが、「なんでそんなことするの?」と思ってしまいますが、似てる部分があるんです。

日常で感じられない気持ちいい感覚を味わってみたい。と気軽にHHCHやオーバードーズをして健康を削っていくわけですが、これも慣れてしまうともっと気持ちよくなりたいと思って麻薬のように量がどんどん増える。
その「気持ちいい」の満足はありません。きりがない。

近いのはお酒ですが、これも酔っぱらって目の前の嫌なことを忘れて気持ちよさを味わっていたい。と思って飲んで、慣れてしまうともっと飲まないと気持ちよくならない。きりがない。

麻薬は「もっと、もっと」を追求していくことで、みるみる心も身体もボロボロになってしまうので、大問題なので、ニュースになります。

一時的な気持ちいいを「ずっと」感じていたいと思って続けた結果が不幸になります。

・スポーツを勝利の気持ちよさをずっと味わいたい。「もっと」勝ちたいと頑張って「腰を痛めた。疲労骨折だ。」などのケガという不幸になることがある。

・お酒を「もっと」飲んでいたいと思った結果、痛風や肝硬変などの不幸になることがある。

・山登りを「もっと」したい。と思った結果、膝を痛めてしまう。

・ライブで「もっと」いろんなアーティストの音楽聞いていたい。と思った結果、難聴になってしまう。

・ケータイでSNSもっと見ていたい。と思った結果、斜視になったり、視力が悪くなったり、白内障になったり、肩こりになったり、ケータイないとソワソワしてしまう。

私も一つの経験としてはケーキの食べ放題。
一つ目は「美味しい!」でも、5個も食べると「もういいかな。」となってしまう。
ケーキの味は1個目も5個目も変わりません。
でも、明らかに食べるときのテンションは落ちる一方です。

買い物楽しい!
あれも買おう、これも買おう。と思って買いまくった結果
お財布がさみしくなってテンションが落ちたり、不安になったり。

このように私たちが幸せになりたいと思ってやる楽しいことは永続しない。

「本質的な幸せではない。」と気づくことが大切です。


ここで一言いうと、例は極端に言ってますが、悲観主義で言っているわけではありません。

客観的に「幸せを求める行動による幸せの感覚は本質的な幸せではない!」と知りながら楽しんでほしいと思います。

楽しくて幸せを感じるけど、ずっと続かないし、追い求めすぎると不幸を感じることもあることを知って楽しんでほしいのです。
それに気づかないと「執着(依存)」になっていきます。

「お酒がないと。」「サッカーがおれのすべてだ」「絶対に東大に行かないと」などなど、
「それがないと自分ではない。」というような執着はそれに縛られているので、危ういです。


もう一度言いますが、少し誇張気味に言ってますが、
だれでも幸せを求めてさまざまな行動をして生きているわけですが、我々の行動に「気づき」を向けて分析し、浮き彫りにしていくと、その幸せや楽しさは永続しない、本質的ではない。ことがわかるはずです。

それをわかりやすく誇張気味に言っているので、悲観主義ではありませんからね。

では、本質的な幸せはなんでしょう?

②へつづく。


 

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